2025年10月、私は音響・映像技術の実務者として「ゆうばり国際ファンタスティック思い出映画祭」に参加しました。この映画祭の正式名称に「思い出」という言葉が冠された背景には、「記念すべき第35回、復活に向けた狼煙をあげたい願い」(運営委員会挨拶より)【6】が込められており、過去の栄光と現在の課題を抱えながら再出発を図る、強い意志と同時に脆弱な基盤が垣間見えます。
作品を支える現場の一員として、設営・調整・上映補助などを担当した数日間で、私は日本の映画祭が抱える多層的な課題を実感しました。映画祭とは、本来、作家と観客、そして地域を結ぶ文化装置です。しかし近年、その仕組みは補助金制度、地域経済、ボランティア体制、オンライン化といった外的要因の中で複雑化し、「制度疲労」を起こしつつあります。
本稿では、ゆうばりの現場から見えた実態を軸に、国内外の動向、特に日本の映画祭の特殊性を比較しながら、「思い出」を未来につなげるための映画祭再構築の方向性を考察します。
ゆうばりの現場で最も感じたのは、技術的マニュアルや継承資料の不在でした。上映会場ごとの配線図・音声ルーティング表・映像フォーマット一覧が十分に整備されておらず、機材設定やレベル調整は属人的な現場判断に委ねられていました。特に、上映素材がDCP・Blu-ray・ファイル再生が混在し、システム切り替えに時間を要する場面は、技術者の経験が途切れたことによる運営の非効率性を象徴しています。
このような属人的運営は、規模を問わず多くの映画祭で共通する「文化技術の断絶」です。フランスのクレルモン=フェラン短編映画祭でも、2024年に上映フォーマット統一を試みたものの、各国仕様の互換性、特にオーディオ設定や字幕仕様における課題が残ると報じられています(Le Monde, 2024 年 1 月 31 日)【1】。国内の映画祭でも、近年DCPの音量基準や色空間設定に関する技術的なトラブルが散見されており、上映作品の増加とフォーマットの多様化に技術継承が追いついていません。
映画祭の本質は“作品を流す場”ではなく、“文化技術を継承し、磨き上げる場”にあります。ボランティア中心の構造では、経験の継続が途切れ、若手技術者が育たない。この環境を放置すれば、地域に残るのは「イベントの記憶」だけで、「技能の記録」は消え去り、将来的な上映の質の担保が不可能になります。
もう一つ顕著だったのは、資金と人材のアンバランスです。ゆうばりでは、補助金の多くが運営や会場費、ゲスト関連費に配分され、技術スタッフへの報酬や設備更新費は文化的インフラ投資として位置づけられず、後回しになりがちでした。このため、専門職が継続的に関われる体制を維持するのが難しく、“文化技術”の定着を妨げています。
この構図は海外でも見られます。クレルモン=フェラン短編映画祭では、2023年度に地域補助金が21万ユーロから10万ユーロへ減額され、出品料を徴収して収支を維持しました(Le Monde, 2024)【1】。トロント国際映画祭(TIFF)は2026年、「TIFF Content Market」を新設し、収益を産業化と結びつける多角化を進めています【2】。
日本の場合、文化庁の映画・映像産業支援は年間約252億円規模とされていますが【3】、文化庁の「日本博」等の事業助成対象はイベント企画が中心であり、映画祭そのものへの直接助成や技術インフラへの投資は依然として少ない状況です。現場の人材育成費・技術更新費を「未来の映画文化を支える文化的インフラ投資」として位置づけ直すことが、制度疲労を克服する鍵となります。
ゆうばり2025では、上映作品の字幕や権利処理はきわめて丁寧に管理されており、全上映が適正に行われました。しかし、オンライン配信やハイブリッド上映の普及により、上映権の範囲・期間・地域指定・字幕仕様が国際的に複雑化し、明確な契約整備が求められています。
国内の他の映画祭でも、オンライン上映と劇場上映の権利区分が曖昧なために、海外配給会社との交渉が難航するケースが報告されています。英国のThe Film Festival Doctor(2024)は、「オンライン上映が配給契約を無効化するリスク」を指摘し、上映と配信を明確に区別し、地域と期間を限定した契約が必要だと述べています【4】。法務と技術が連携し、上映パッケージ単位でデータ管理と契約ログを連携させる体制を整えることで、権利の曖昧さを解消し、国際的な文化的信頼性を高めることができます。
Film Festival Alliance 2024の調査では、世界の映画祭の約60%がオンライン上映を併用していると報告されています【5】。このアクセス拡大は重要ですが、現地での臨場体験は相対的に希薄化しました。
ゆうばりの会場でスクリーンが灯った瞬間、観客の息づかいが空間を震わせました。この「同じ空間・同じ時間を共有する経験」こそが、映画祭の核心的価値であり、オンラインでは決して再現できないものです。国内の多くの地方映画祭が「観光」や「地域おこし」を目的とする中で、この“熱狂の共有”を設計に組み込む必要があります。
フランスのクレルモンでは、オンライン観客を次年度の現地来場者に誘導する“再訪者割引パス”が導入されました。このように、オンラインとリアルを「分断」ではなく「循環」で結びつけ、地方映画祭が観光・教育・文化を横断する「ハブ(拠点)」となる体験設計そのものを文化政策の一部に組み込む発想が求められます。
現場の経験と各国事例を踏まえ、映画祭の再構築に向けて以下の四点を提案します。
映画祭の持続可能性を支えるのは、有名俳優やスポンサーではなく、現場で手を動かす人々の技術と時間です。フェーダーを握り、光と音を制御する瞬間、そこには「人が文化を支えるという証拠」があります。
「ゆうばり国際ファンタスティック思い出映画祭」という名称に込められた「復活に向けた狼煙」は、単なるイベントの復活ではなく、失われつつある“文化技術”の再構築への狼煙でなければなりません。AIが進化し、映像制作の民主化が進む時代にこそ、映画祭は“人の手による文化技術の学校”として再定義され、次の世代に継がれるべき希望の形だと私は確信しています。