藤原亮英 論考 トップページに戻る

「メジャー/インディーズ」の機能不全と、〈声による社会的な儀礼〉としての録音文化

――2025年におけるカラオケボックスとレコーディングスタジオの文化的等価性をめぐって――

序論:産業構造の解体と価値基準の転換

二十世紀後半の音楽産業を支えてきた「メジャー」(資本と配給の集中)と「インディーズ」(その外部における表現)という二項対立は、2020年代半ばの現在、文化的・実務的な効力を失いつつある。制作・発表・流通が単一のデジタル空間で完結する状況において、作品の価値は資本の系列や組織的権威ではなく、共有される文脈と文化的効力によって決定される。

この変化により、音楽は「どの組織に属するか」ではなく、「どのような共同体(コミュニティ)の中で共鳴し、機能するか」が価値の中核をなす。これは、産業構造の移行にとどまらず、人間が声と音を通じて相互承認を得る仕組み、すなわち承認インフラストラクチャそのものの再構築を意味している。

本稿は、ポスト・メジャー/インディーズ時代の音楽文化の本質を捉えるため、録音文化の現場を基点に、2025年の日本におけるカラオケボックスとレコーディングスタジオの文化的等価性を検討する。両者は表層的には異なるが、いずれも「声の発露による自己確認と共同体への編入」という社会的な機能において、本質的に同質である。


一:親密圏の変容と「可視化された承認の場」への移行

2010年代までのカラオケボックスは、友人、家族、同僚といった親密圏において、声を発し、互いに拍手を送り合う最も日常的な承認の儀礼の場であった。この反復が、人々の間に非言語的な承認の循環を生んでいた。

しかし、全日本カラオケ事業者協会の『カラオケ白書2024/2025』によれば、2019年の利用者数(約4,700万人)に対し、2023年度は3,700万人(回復率79%)に留まっている【全日本カラオケ事業者協会, 2024】。この数値は、単なる市場縮小ではなく、密室での共同的承認の儀礼が、社会的に重視される場としての機能が相対的に低下したことを示唆する。

その代替として台頭したのが、ネットワーク上の歌唱・録音投稿文化である。YouTubeの『Culture & Trends Report 2024』は、視聴者の65%以上が「動画を視聴した後、自らも創作活動を行いたくなる」と回答していると報告し【YouTube, 2024】、視聴者が創作者へと転化する構造を裏付ける。カラオケボックスが担ってきた非公開の「共聴・共感の場」は、デジタル空間上の録音・投稿・評価の往復によって、公開され、計測可能な「承認の場」として再構成されている。


二:録音行為の転位と日常的な承認インフラストラクチャとしての機能

録音行為は、かつて技術的な「作品制作」として専門的に位置づけられていたが、現在では社会的な「存在の表明と確認」として機能しつつある。これは、伊藤(2021)が指摘する、ニコニコ動画の「歌ってみた」文化が「反体制的メディア」から「共鳴的メディア」へと移行した過程と軌を一にする【伊藤, 2021】。

録音はもはや専門職の独占領域ではない。一般生活者がスマートフォンや簡易インターフェースで自己の声を記録し、社会へ公開する行為は、芸術活動と日常的なコミュニケーションの境界を解体している。レコーディングスタジオは、この拡張された行為の延長線上にあり、「自己表現」と「社会的確認」を媒介する上位の承認インフラストラクチャとして再定義されつつある。

この構造は、カラオケボックスと本質的に等価である。前者が即時的な共同体内の承認の場であり、後者が永続的な社会への記録の場であるという時間軸の違いを除けば、両者はいずれも「声を介した存在確認の儀礼」を中心に成り立っている。録音文化は、プロフェッショナルな創作の領域を越え、社会全体の承認インフラストラクチャへと変化しているのだ。


三:録音空間の「深層化」と等価な内的集中装置

近年、都市部における大規模録音施設の減少が進行している。Bunkamuraスタジオの長期休館(2023年)【東急文化村, 2023】はその象徴的事例であり、一方で、ユニバーサルミュージック原宿やビクタースタジオは、Dolby Atmos対応の小規模・高密度録音室を新設している【ユニバーサルミュージック, 2024】【ビクタースタジオ, 2024】。

この変化は、録音空間が「広さ」から「深さ」へと質的転換を遂げたことを示す。音の物理的再現性よりも、精神的な集中を促す隔離構造が重視されるようになった結果、録音スタジオは内的表現の純度を極限化する装置としての機能を強めている。

この点において、カラオケボックスも同様に、短時間・少人数・高集中という同型の環境を提供している。両者は、外部の雑音や社会的公開性を一時的に排除しながら、発声という身体的行為を媒介とした、自己との対話および表現の練度を高める等価な内的集中装置として並列している。


四:物質文化の回帰と「時間の不可逆性」への文化的応答

ストリーミングが主流となった現代においても、アナログレコードの売上は18年連続で増加している【RIAA, 2024】。この現象は、音楽のデジタル化が進むほどに、人々が“触れられる音”、すなわち物質的な実体と記録の永続性を求める傾向を強めていることを示す。

音は、発せられた瞬間に消滅する不可逆な現象である。録音とは、その不可逆性に抗い、一瞬の経験を可逆的な形式で社会に留めようとする文化的応答である。この「失われゆくものを記録しようとする意志」は、時間という絶対的な制約への抵抗として、文化的持続を求める実践として理解される。

ここに見られるのは、音の再現技術に内在する社会的記録の儀礼性である。レコーディングスタジオで収められる一声も、カラオケボックスで発せられる一曲の痕跡も、単なる再生可能なデータではなく、不可逆な時間と自己の存在に対する人間的応答の記録として機能している。したがって録音とは、単なる技術的行為に留まらず、社会の記憶を編纂し、文化的持続を支える倫理的かつ共同的な実践として再定義されるべきである。


五:結論

2025年における音楽文化は、「メジャー/インディーズ」という産業的階層を超え、「声を発し、それを記録する」行為そのものが、共同体における承認と社会的な記憶の更新を担う芸術的・社会的な行為である段階へと移行している。

カラオケボックスは、日常の中で行われる即時的な承認の儀礼の場であり、レコーディングスタジオは、その延長線上にある永続的な記録と社会への発信の場である。両者はいずれも、人間が声によって自己の存在を確認し、共同体や社会と接続する等価な儀礼空間として機能する。

録音は、商品を生み出すための工程ではなく、社会が自らの記憶とアイデンティティを更新し続けるための文化的制度である。そして、その制度を支える録音技術者の役割は、単なる音響専門職ではなく、芸術的表現と社会的な記憶を媒介する高度な翻訳者としての責務を担うものとなる。


参考文献

  1. 全日本カラオケ事業者協会(2024)『カラオケ白書2024/2025』.
  2. YouTube(2024)Culture & Trends Report 2024.
  3. 伊藤剛(2021)『サブカルチャー史のなかのニコニコ文化』筑摩書房.
  4. 東急文化村(2023)「Bunkamura長期休館のお知らせ」.
  5. ビクタースタジオ(2024)「Studio 201開設ニュースリリース」.
  6. ユニバーサルミュージックジャパン(2024)「UNIVERSAL MUSIC STUDIOS HARAJUKU再整備概要」.
  7. Recording Industry Association of America(2024)Year-End Music Revenue Report.