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AI時代の表現芸術と人間の責務──制度比較と「言語化経済社会」の視座

1. 問題提起:表現芸術の歴史的転換点

表現芸術は今、歴史上最大級の転換点を迎えています。生成AIが過去の作品を学習し、音楽・映像・文章を再構築する技術革新は、単なる効率化にとどまりません。芸術が人間の主体性と意志の結晶であるとき、その営みが「道具によって代替され得る」という事態は、芸術概念そのものを揺るがす本質的な問いを投げかけます。

この変化は、AI技術が著作者の権利、契約構造、倫理規範、そして文化の存在証明にまで影響を与えることから、表現芸術の歴史上最大級の転換点と定義すべきでしょう。

本稿は、まずアメリカと日本の制度的対応を比較し、その実効性の差異を析出します。次に、AIを「過去を整理再構築する道具」とする筆者の視座を提示し、さらに「言語化経済社会」という理論枠組みを用いて、この転換点における人間の責務と未来の方向性を考察します。

2. アメリカの事例:抗議と実効性ある制度の進展

アメリカにおけるAIと音楽制作をめぐる動きは、アーティストの抗議、立法、契約の三方向から具体的な実効性を伴って展開されています。

まず、2024年にはStevie Wonder、Billie Eilishを含む200人超の著名ミュージシャンが連名で公開書簡に署名し、AIによる無断音声複製や著作物利用の制限を求めました【The Guardian 2024.04.02】。この集団的行動は、立法への強い圧力となり、AI問題を社会的議題として明確に浮上させました。

制度面では、テネシー州で「ELVIS Act(Ensuring Likeness, Voice and Image Security Act)」が成立し、声や肖像の無断AI生成を禁止する罰則を伴う法的枠組みが整備されました【Adams & Reese LLP】。さらに連邦レベルでは「NO FAKES Act」や「Generative AI Copyright Disclosure Act」が議論され、学習データや生成物の透明性義務を課す方向性が打ち出されています【Recording Academy】【Wikipedia】。

また、労働組合の動きも極めて重要です。SAG-AFTRAは主要レーベルと交渉し、AIによる声の複製には本人の同意と補償を必須とする契約条項を導入しました【Reuters 2024.04.12】。これは、法制度と現場実務を直結させ、アーティストの権利を直接保護する画期的な仕組みです。

3. 日本の事例:協議と理念的な提言にとどまる現状

一方、日本の対応は、協議体や声明の設立といった理念レベルの活動にとどまっている傾向が見られます。

2024年1月、JASRACや日本レコード協会など9団体は「AIに関する音楽団体協議会」を設立しました【JASRAC 2024.01.25】。また、日本音楽作家団体協議会(FCA)は2023年に声明を発表し、生成AIの学習段階での無断利用や改変に懸念を表明しています【PR TIMES 2023.06.27】。さらに日本音楽家ユニオンも文化庁に意見を提出し、識別(ラベリング)や不正利用防止を求めています【文化庁 2024】。

しかし、これらの活動は、アメリカに見られるような具体的な法整備や、現場の契約実務への統一的な反映には至っていません。文化庁の資料も「関係者間の調和」や「議論の整理」を重視する傾向が強く、権利侵害時の責任所在や罰則規定の明確化は保留されています【文化庁 著作権課資料 2024/3】。

この現状は、理念や調和を優先するあまり、現場を縛る規範や説明責任の欠如を温存していると評価できます。これは、日本の法制度における著作権の柔軟な運用を背景とするものですが、結果としてアーティストの権利保護の実効性を遅らせる要因となっています。

4. 比較から浮かぶ実効性の差異

両国の事例を比較すると、アーティストの権利保護における次の四つの実効性の差異が際立ちます。

この差は単なる制度の遅れではなく、芸術家の主体性を守るための「具体的規範」を社会が確立しているか否かという根本問題を表しています。

5. 筆者の視座:AIは素材を提供する道具にすぎない

筆者はAIを「過去の情報を整理再構築する道具」と捉えます。AIは無数の断片を統計的に結び直すことには長けていますが、そこに意味を与え、芸術として成立させるのは人間の意志と選択です。

AIの生成物は、あくまで芸術制作における「素材」であり、それ自体が「芸術」ではありません。芸術となるためには、作者である「意志を持つ人間」が介在し、その素材を選択し、構成し、独自の解釈をもって社会に提示しなければならないのです。これは、AIが提供する統計的な出力に、人間が物語(意味)を創出する行為に焦点を当てます。

6. 「言語化経済社会」における価値の確立

筆者はこの視座を「言語化経済社会」という概念で位置づけます。これは、価値が「どのように言葉にされ、意味づけられるか」によって評価・経済化される社会を指します。

AIが提供する出力は、人間の意志によるフィルタリングを経ていないため、社会的な価値を持たない「言語化されていない断片」にすぎません。それを芸術として確立させるには、人間が言葉を与え、その創作意図、背景にある思想、そして作品の社会的意義を言語化して社会に提示する必要があります。

この言語化は単なる説明行為ではなく、作品に「存在証明」を与える行為であり、芸術を経済的・社会的に評価する最終段階です。したがって、人間はAIの出力を効率的な素材として活用しつつも、**言語化を通じてその価値を定義する責務**を担っています。

7. 結論:転換点における人間の責務

AI時代の表現芸術は、もはや避けられない現実です。アメリカは抗議・立法・契約を通じて具体的な制度形成を進め、日本は声明や協議に留まっています。この差は、芸術家の主体性を守る**実効的な規範**を確立できるか否かに直結します。

筆者の視座に立てば、AIは道具であり、最終的な価値を決定するのは、人間が**言葉と意志**をもってその素材に意味を与える行為です。「言語化経済社会」において、AIによる出力が単なるデータ再配置に堕落するか、あるいは新しい芸術へと進化するかは、この**言語化の責務を人間が放棄しないか**にかかっています。

この時代は、人間がAIを使いこなし、言葉を通じて芸術の価値を再定義することで、表現芸術にかつてない広がりを持たせ、未来へと進化させる好機なのです。

📚 引用・参考文献