藤原亮英 論考 トップページに戻る

AI時代におけるビートメイカーの消滅と再定義

ビートメイカーは死んだか? AIが奪えなかった「音の思想」と次なる職能

――ループ職人から意味付けの思想家へ

1. 序論:AIが最初に置き換えた領域

2025年の現在、音楽制作のなかで最も早くAIに置き換えられた領域は「ビートメイキング」です。メロディや歌詞よりも構造が明快で、リズムパターンやコード進行が確率的に再現しやすいことから、生成AIにとってビートは「最も再現可能な音楽形式」でした。

Suno、Udio、Mubertといった生成ツールは、プロデューサーがDAWで構築してきた「拍と層の構造」を一瞬で模倣します。その結果、かつて“ビートメイカー”と呼ばれた職能は、AIの学習データの延長線上に吸収されていきました。

しかしこれは、単にテクノロジーの進歩が人間を駆逐したという単線的な物語ではありません。むしろこの現象は、「音を作る」という行為そのものの社会的機能が変容したことを意味しています。

2. 市場構造の崩壊:量産と模倣の果てに

ビート販売プラットフォーム(BeatStars、Airbitなど)では、2021年以降、個人制作者の平均売上が激減しました。同一タグ(例:“Drake type beat”)で毎日数百曲が投稿され、広告を投じても埋もれるアルゴリズム環境が形成されています。

供給過多・価格破壊・短尺文化の加速が重なり、「1曲=価値」という概念が事実上機能しなくなりました。さらに、ラッパーやシンガー自身が制作ソフトを扱うようになり、“ビートを買う”という習慣が文化的に減少しています。

この現象は、単にビートメイカーという「労働市場の縮小」に留まらず、「ビートを売買し、稼ぐ」という音楽のビジネスモデル(通貨化する構造)そのものの終焉を示しています。

3. 文化構造の変化:署名から模倣へ

かつてビートは作家の署名でした。Dr. Dre、J Dilla、Nujabes──名前を聞けば音が思い浮かぶ時代。そこではビートが「人格の記号」として機能していました。

しかし、2020年代半ばのSNS文化とAI生成環境は、署名をタグに置き換えました。

“Nujabes type beat”
“Metro Boomin type beat”

この“type”という言葉が象徴するように、ビートは作家性の表現ではなく、模倣の言語となりました。AIはその模倣を完璧に遂行し、もはや「誰が作ったか」は重要ではなくなっています。

4. 技術構造の転換:「AI × AI」で完結する音楽

AI生成音楽は、単に楽曲制作を補助する段階を越え、AIボーカル・AIミキシング・AIマスタリングが連動する完全自動生成パイプラインを形成しつつあります。

この構造では、人間のビートメイカーは訓練素材の供給者となり、「作品」を作るというよりも「モデルを成長させるデータ提供者」に変質します。この転換点こそが、職能の“機能不全”の本質です。

5. 人間に残された領域:録音・選択・仕上げ

では、人間には何が残るのでしょうか。それは、「音を作る」ことではなく、「音をどのように響かせるかを決定する判断」です。

AIが生成したビートを前にして、「呼吸が浅い」「残響が硬い」「沈黙が足りない」と判断できる耳。その微細な“感覚(身体知)”の領域、つまり、プロのエンジニアだけが持つ音の深みへの判断にこそ、人間の存在が残ります。

音を調整するのではなく、音と向き合う時間の重みを編集すること。そこに、エンジニアやアーティストの「魂を込める」行為が宿ります。

6. AI時代の再定義:ループ職人から音の思想家(オーディオ・ソフォス)へ

AI時代において、ビートメイカーとは「ループを作る人」ではありません。むしろ、AIが作る音を社会と接続する思想家です。

音をキュレーションし、文脈を設計する者。AIが完璧な「素材(物)」を作っても、それを聴き手に最も響く「物語(言語)」として提示し、社会的・文化的意味を付与する責任を担う者。それが、かつてビートメイカーと呼ばれた存在の次の形です。

AIが再現できないのは「目的意識」であり、“なぜこの音を鳴らすのか”という問いの層です。ここに、人間の意思と文化的責任が再び浮上します。

7. 最終結論:ビートメイカーの「消滅」は「進化」である

「ビートメイカーが機能しない」という現象は、終焉ではなく、形態の転化です。

音を作る人間から、音に意味を与える人間へ。

それは、録音技師や作曲家が、次の時代に「思想を持つ存在」へ進化する過程でもあります。

AIが無数の音を生み出す世界で、なお音に静けさと存在の重みを見いだすこと。その行為こそが、“ビートの再定義”であり、音楽の未来における人間の最後の居場所です。