どういう経緯か覚えていませんが、中学生の3年間、私は新聞配達をしていました。
毎朝の眠い目をこすりながらの配達。手にするはずギャラは、販売店の店主のおじさんから、そのまま母のもとへ渡っていた様子でした。
母の死後、親父から聞いて知ったのですが、母は私にピアノを習わせたかったらしく、そのお金をためて、ある日アップライトピアノを買ってしまったのです。
ところが、当時の私は反抗期の真っ只中。素直に喜ぶどころか、嬉しそうな母の顔を見ても、つい、今の時代では完全にアウトな、不適切な悪態をついてしまう始末でした。
それでも、部屋の片隅にあるピアノを眺めながら、「弾けたら格好いいだろうな」と妄想することが増えていきました。
やがて、和音を押さえ、左手でルートを響かせる。ほんの簡単なことですが、鍵盤に触れる時間が少しずつ増えていったのです。母はそんな私を、何も言わず、ただ嬉しそうに見ていました。決して仲がよい親子ではなかっただけに、今思うと、その笑顔に反発していた自分を、心の痛みとして思い出されます。
私は、自分が〈ピアノを弾ける〉とは思っていません。
きちんとした教育を受けたこともないから、コンプレックスすらないのです。ただ、仕事で使う道具として、ある程度は弾けるように努力してきました。
そんな私の先生は、いつだってレコーディング現場で出会う素敵なピアニストたちでした。
鍵盤に触れる瞬間の息づかいや、曲の最後の一音まで魂を込める姿を間近で見られるのは、考えてみればとても贅沢なことです。
私の大きな自慢は、ピアニストの友人が多いこと。
そして、その一人ひとりに、ずっと変わらない憧れを抱き続けていることです。
私は、死ぬまで上手なピアノは弾けないでしょう。
でも、死ぬまでピアノに恋していたい。
母が買ってくれたピアノが、私に与えてくれた憧れと、今でもスタジオで素敵な演奏をされているピアニストの皆さまからいただいた学びに、心から感謝しています。