神宮前レコスタ!ブログ

サウンドエンジニア・サウンドプロデューサー 藤原の雑記

若い女性の口語体の変化と「女性語」の衰退

若い女性のお客様と会話をしていて、ふと気づくことがあります。同年代の男性とほぼ同じ口語体で話す方が、ほぼ100%に近い割合でいらっしゃるということです。いわゆる「〜かしら?」や「〜ですわ」といった、かつての女性特有の言い回しは、ほぼ絶滅していると感じます。

昭和から平成初期にかけての日本語では、性別によって語尾や言い回しがある程度決まっており、それが社会的な役割や立ち位置と密接に結びついていました。女性は「おしとやかさ」や「柔らかさ」を示すために、ある種の言語コードを求められてきた背景があります。しかし21世紀に入り、そのような言葉遣いは急速に廃れました。背景には、男女平等意識の浸透、SNSやネット文化の影響、そしてメディアにおける話し言葉の変化があります。

SNSが普及し、誰もが同じ土俵で短文を発信するようになると、性別ごとの言語差は一気に薄まりました。ネット上での「フラットな会話スタイル」が、リアルな対面の場にも流入し、男女の区別なく同じテンションや言葉遣いが当たり前になったのです。また、テレビやYouTubeで活躍する若い女性タレントや配信者が、カジュアルでストレートな言葉遣いをすることも大きな影響を与えています。

私自身はリベラルで民主的な価値観を持っていると自認しています。それでも、年齢のせいか、若い女性のお客様から「マジか」と言われると、ほんの少し引いてしまう瞬間があります。そこには、単なる世代間のギャップだけでなく、言葉が持つニュアンスや空気感の違いが横たわっているのでしょう。

「静ちゃん話法」とも呼ばれたような、やや上品で丁寧な女性語は、文化的な役割を終えたのかもしれません。一方で、それは単に“絶滅”したわけではなく、“使う必要がなくなった”とも言えます。若い世代にとっては、性別を示す言葉遣いは不要であり、同じ場で同じ言葉を使うことが自然なのです。

この変化を寂しいと感じるか、時代の進歩と捉えるかは、人によって異なるでしょう。けれども、言葉遣いの変化は、その時代の価値観や人間関係のあり方を映し出す鏡です。女性語の消滅は、性別による役割分担からの解放であると同時に、世代間のコミュニケーションに新たな摩擦を生む現象でもあるのです。

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