序章:ふたつの革命は、同じ問いを残しました
1970年代後半のパンク/ニューウェーブは、安価な機材と宅録の拡がりによって「音楽の門番」を外側から崩しました。2025年のAIは、さらに一歩進んで「技能の壁」を内側から溶かし、誰でも“それっぽい曲”を短時間で作れる時代を現実にしています。どちらの革命も、最後には同じ問いへ私たちを連れ戻します──人間らしさの証明はどこにあるのかという問いです。
1|値段が思想だった時代:1977–1982
当時、安価なシンセサイザーやカセットMTRは、演奏技術よりも“今ここで鳴らす意志”を後押ししました。ラフな録音、一発録り、ハウリング、テープの飽和──失敗の痕跡は「現場の証拠」であり、粗さは態度でした。ファンジンとインディショップの流通は、中央を迂回する“周縁の力”を可視化します。評価軸の中心は、うまさではなく即時性と当事者性にありました。
2|モデルが楽器になった現在:2025
AIは“モデルそのもの”を楽器化しました。作曲、歌詞、ボーカルスタイル、ミキシングの提案まで、プロンプトや参照音源から自動で組み上がります。しかも即生成→即配信→即修正という可逆ループが前提化しました。結果として、作品の“手触り”は、テープ時代の不可逆な痕跡から、編集と開示の質へと重心が移っています。
3|スピードと可逆性が、美学を置き換える
70年代の制作は反応まで時間を要し、過程そのものが作品に刻印されました。今は違います。リリース後の“上書き”さえ可能です。スピードが上がるほど、正直さと透明性(どう作ったかを語ること)が、美学の新しい基準になります。粗さの代わりに、出自の説明責任が評価の前提になるのです。
4|流通と発見:ジン/ショップから、アルゴリズムの海へ
当時の周縁流通は「見つけた側の物語」を育てました。今はストリーミングとSNSの海で、アルゴリズムが物語の入口です。“見つかる設計”と“見つかった後の信頼”がセットで必要になります。AI生成楽曲の氾濫や偽装の問題を背景に、表示(ディスクロージャー)の重要度が増しています。
5|手触りの比較:不可逆の痕跡 vs. 可逆の編集
テープの飽和、ノイズ、ワンテイクの揺れは、消しがたい“証拠”でした。対して2025年の制作は、ノイズさえプラグインで“あと付け”できます。この非対称を埋めるのは、どこで手を止めるか/どこまで開示するかという人間の判断です。AI時代の“リアル”は、音の荒れよりも、判断の痕跡に宿ります。
6|作者性とクレジット:ライナーノーツの再発明
「誰がどこまで作ったのか」を巡る議論は、サンプリング論争の延長線上にあります。AI時代の解は、制作ノートの公開に近いところにあります。プロンプト、参照素材、補助の範囲、最終判断者──それらを簡潔に記す“現代のライナーノーツ”は、作品の信頼インフラになっていきます。
7|法と倫理:素材の権利から、学習の権利へ
80–90年代の争点が“サンプルの出所”だったように、今は“学習データの出所”が問われています。現場実務としては、(1)学習/使用のライセンス確認、(2)作業ログの保全、(3)AI関与の明示、(4)第三者素材の扱い規約の整備、が要点になります。コンプライアンスは制作品質の一部と捉え直す段階です。
8|現場のスキル再定義:耳と記述が等価になる
サウンドエンジニアに求められるのは、耳と手だけではありません。
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プロンプト設計力:欲しい“触感”に最短で到達する指示体系
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判断の可視化:選択肢とリスクを併記し、最終決定を共有
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心理的安全性:疑問形コミュニケーションを柔らかく受け止める姿勢
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記録の習慣:制作ノート/バージョン管理/クレジット整備
これらは、音質と同じくらい、作品の信頼に直結します。
9|近未来予測:2025年後半に起きやすいこと
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AI関与の表示がデフォルト化し、プラットフォーム側UIに定着します。
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“クリーンAI”と“グレーAI”の分岐が鮮明になり、学習ソースの透明性が選択基準になります。
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不可逆な手触りの再評価が進み、ノイズ/間/ワンテイクが差別化要素として復権します。
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制作ノート文化が普及し、ライブや配信で“制作の裏側”を語ることが価値化します。
結び:耳と正直さ
1977年は安い楽器が“権威の壁”を壊し、2025年はAIが“技能の壁”を溶かしました。たしかに作ることは簡単になりました。けれど、選ぶことと、語ることは、相変わらず人間の仕事のままです。最後に残るのは、耳の判断と正直さ。そこに、二つの時代をつなぐ一本の線が見えるように思います。