日本と韓国は地理的には近くても、音楽文化の歩みは驚くほど異なっています。特にフォークソングやロックンロールといったジャンルの定着度は、両国の歴史や社会背景を色濃く反映しています。
日本においては、1960年代から70年代にかけてフォークソングが若者文化の象徴となり、大学紛争や学生運動と結びつきながら「反骨」や「連帯」の象徴として受け入れられました。その後ロックもまた、欧米からの影響を受けて若者の自己表現の手段として根付いていきました。ブルースも含めて、これらは「日常を超えた言葉を獲得する音楽」として長く受け継がれ、やがて日本独自のポップカルチャーへと融合していったのです。
一方、韓国では軍事政権下の検閲や社会規制が長く続きました。そのため、反体制的なメッセージを持つフォークやロックが十分に広がる余地が少なく、特定の限られた場で細々と続く形になってしまいました。フォークやロックは「大衆文化」になる前に政治的な規制で押し戻されてしまったのです。その代わりに、1980年代以降は歌謡曲やダンスミュージックが「安全な娯楽」として大衆市場に浸透していきました。
この違いは、その後の音楽輸出の方向性にも影響を与えました。日本からはロックやフォークを基盤にしたJ-POPが生まれ、国内市場を中心に巨大化していきました。韓国では、フォークやロックが広く根付かないまま、1990年代以降にR&Bやダンス、ヒップホップを組み合わせたK-POPが急速に成長しました。つまり、日本がロックを内面化しポップに昇華したのに対して、韓国はロックを経由せずに直接グローバルなダンスミュージックと結びついたとも言えるのです。
その結果、2025年の現在、日本ではフォークやロックの遺産が「レトロ文化」として若い世代に再評価され続けています。ギター一本で歌う姿や、ブルースの匂いを持つサウンドは「人間味」や「実存感」と結びついて受け止められています。対して韓国では、依然としてロックやフォークは一部の愛好家のものであり、国際市場ではほとんど存在感を持てていません。
なぜ日本に韓国のロックやフォークが流入してこないのか、その理由はここにあります。日本の市場はすでに自国のフォークやロックの伝統を持っているため「輸入する必然性」が弱いのです。また、韓国側も世界戦略としてロックやフォークを選ばず、ダンスやアイドルに注力しているため、日本に届く機会そのものが少ないのです。
音楽は単なるジャンルの違いではなく、その社会がどのように「表現の場」を許容したかを反映しています。日本はフォークやロックを経由したからこそ、今もそれらが若者文化の記憶として息づいています。韓国はそのルートを経ずにグローバルへと飛び出したため、世界的な成功を収める一方で、ロックやフォークにおける「普遍的な共有地」を育むことができなかったのです。
この比較は、単なる歴史的な違いにとどまりません。むしろ「どの文化を経由するか」で、その後の音楽の姿が大きく変わることを示しています。そしてそれは、スタジオで音を作る私たちにとっても重要な示唆を与えてくれます。なぜなら、音楽の裏側には必ず「社会がどの声を残すか」という選択があるからです。