2025年という時代において、「アナログ=実存」「デジタル=概念」という図式は、単なる技術的な違いを超えて、私たちの“感じ方”や“生き方”にまで関わっているように思います。
たとえば、アナログのレコードは、針が溝をなぞり、音が振動として空間に立ち上がります。そこには、傷やノイズ、偶発的な揺らぎといった“物理的な痕跡”が残ります。それらはまさに「今ここ」にあるという存在感=実存そのものと言えるのではないでしょうか。
一方、デジタルは、音も映像も言葉も、すべてが数値として処理されます。
ピッチもタイミングも、整えることができますし、データとして保存・複製・編集も自在です。
こうした仕組みは、まさに「概念」的です。つまり、実体のないまま“意味”や“形”だけが操作可能な状態です。
この違いは、音楽に限らず、私たちの身体感覚や、記録メディアへの信頼感にも影響を及ぼしているように感じます。
手紙とメール。
肉声とAI音声。
写真とSNSのフィルター。
録音と音響編集。
アナログな行為には、触れたときの重さや時間の痕跡があります。
それに対し、デジタルは、軽やかで、瞬時に結果が得られる代わりに、「手応え」や「一回性」が薄れてしまう側面があります。
それでも、現代の表現はどんどんデジタルへと移行しています。
なぜなら、デジタルのほうが「加工しやすく」「制御しやすく」「拡張しやすい」からです。
私たちサウンドエンジニアも、AIボイスやDTM、音声編集技術を用いながら、「現実には存在しなかった感情」すら、音として仕立てることができるようになりました。
それが悪いことかどうか、という議論は、もはや意味をなさないのかもしれません。
むしろ今、私たちは「アナログ=実存」「デジタル=概念」という式のあいだに、両方の価値を見出す段階に来ているのではないでしょうか。
人間は“実存”を求めながら、“概念”によって生きやすさを得ている。
その矛盾の中に、これからの音楽や記録文化の本質があると私は考えています。