■ 仮の姿を演じる文化は、決して新しくない
2025年。
VTuberはすっかり日常に溶け込み、「キャラクターとしての自分を持つこと」が特別ではなくなった時代になりました。
YouTubeやTikTokの歌ってみた、ナレーション、雑談配信。
アバターをまとい、デジタルの身体で“自分らしく語る”文化はますます広がりを見せています。
けれど、私たちのスタジオに来られる多くの方を見ていて、思うことがあります。
**「これは目新しい表現ではなく、日本文化の延長線上にあるのではないか」**ということです。
■ 歌舞伎・落語──“中の人”が存在する虚構
例えば、歌舞伎の女形(おやま)は、その演じる姿と実際の俳優が別人格であることが前提の文化。
隈取り(くまどり)を入れ、役を演じ、語り、踊りながらも、「そこに人が入っていること」は誰もが知っている。
落語も同じです。
一人で何役も語る。しかも、演者の“素”が見えているからこそ、虚構として成立する不思議な芸。
VTuberもまったく同じ構造を持っています。
アバターが喋り、動き、歌う。
でも、見る側は知っているのです。その奥に“中の人”がいることを。
■ 神宮前レコーディングスタジオでは、“魂を吹き込む場”を提供しています
私たち神宮前レコーディングスタジオは、もともと歌ものレコーディング、HIPHOPのビート制作、ナレーション録音などを多く手がけてきました。
しかし、ここ数年の変化にあわせて、対応ジャンルはさらに広がっています。
古典芸能の音源制作(落語講座/謡曲の発表用録音など)
VTuber・AIボイスとの収録コーディネート(仮歌、歌ってみた、対話ナレーション)
文学作品の朗読・シナリオ収録(現代語訳+オリジナル台本のミックス)
このすべてに共通するのは、「仮の姿に魂を込める」という仕事であるということ。
それは、型をなぞることでも、機材を整えることでもありません。
どんなに仮の姿であっても、「ここに人がいる」と伝えるための、表現の芯を探す作業なのです。
■ 2025年の表現文化──テクノロジーと“気配”のせめぎ合い
ChatGPT、Sora、AI音声、3Dアバター…。
今、表現はどこまで人間の仕事で、どこからAIに任せられるのかという議論が常に起きています。
しかし、“気配”や“間”、そして“余白”の表現は、まだまだ人の領域です。
それは、型の中に心を入れる=日本の芸能が長く磨いてきた方法論と重なります。
■ まとめにかえて──伝統と現代は、対立ではなく連なり
「落語の録音をしている」と言うと、「それとVTuberとどう繋がるんですか?」と驚かれることがあります。
でも、私たちにははっきり見えています。
仮の姿で語るという構造
演者とキャラクターが共存するという発想
観客の想像力で“生身”を感じさせる技法
すべてが、地続きなのです。
神宮前レコーディングスタジオは、
この変わりゆく時代の“声”と“気配”を、丁寧に録っていく場所であり続けたいと思っています。