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巻上公一とDEVO:ヒカシューの音楽における影響と共鳴

はじめに:ヒカシューとDEVO、1980年代の音楽的交差点

1980年代初頭の日本の音楽シーンは、海外からの新たな音楽潮流が押し寄せ、多様な表現が花開いた時代であった。この時期、日本のニューウェーブおよびテクノポップシーンにおいて、ヒカシューは独自の存在感を放っていた。1978年に結成され、1979年にシングル「20世紀の終わりに」でデビューしたヒカシューは、プロデューサーに近田春夫を迎え、当時の洋楽レーベルであった東芝EMIイーストワールド・レコードの専属第一号アーティストとして活動を開始した。ニューウェーブが全盛期を迎える中、ヒカシューはプラスティックスなどと共にテクノポップバンドとして認識され、その演劇的な要素を取り入れた独特のスタイルでシーンに異彩を放った。巻上公一はヒカシューのリーダーとして作詞作曲を手がけるだけでなく、口琴、テルミン、コルネット、ベース、電子楽器など複数の楽器を操る多才な演奏家であり、特に即興演奏においては「全身即興演奏家」と称されるほどの達人である。  

一方、海外のテクノポップを代表するバンドとして、アメリカで1970年代後半に結成されたDEVO(ディーヴォ)が挙げられる。DEVOは、その革新的な音楽性、挑発的な視覚表現、そして「De-evolution(脱進化)」という独自の哲学で世界的な注目を集めた。彼らの音楽は、シンセサイザーを多用したメカニカルで反復的なサウンドと、既存の社会や文化に対する皮肉な視点が特徴である。

本報告書は、巻上公一氏がDEVOについて具体的に言及した資料を調査するとともに、ヒカシューの音楽、特に初期の作品におけるDEVOからの影響、そして両者の間に見られる音楽的・哲学的共通項を深く掘り下げて分析することを目的とする。これにより、単なる事実の羅列に留まらず、1980年代の日本の音楽シーンにおける国際的な影響の受容と、ヒカシューが築き上げた独自の芸術性の背景を明らかにすることが期待される。

当時の日本の音楽シーンでは、「ニューウェーブ」と「テクノポップ」というジャンルが明確に分化されておらず、非常に流動的で相互に影響し合っていた状況が見て取れる 。海外のDEVOがテクノポップの代表格として認識されていたことを考慮すると、このジャンル的な境界の曖昧さは、ヒカシューがDEVOからの影響を自然に受け入れ、自身の音楽に統合しやすかった土壌であったと考えられる。この事実は、単にヒカシューがテクノポップバンドであったという表面的な情報以上の、当時の音楽文化のダイナミズムと受容性を浮き彫りにするものである。1980年代初頭の日本の音楽シーンは、海外の新しい音楽潮流、特に電子音楽やパンク・ニューウェーブの要素を積極的に取り入れ、それを独自の解釈で再構築する柔軟性を持っていた。このような環境が、ヒカシューのようなバンドが多様な要素(演劇性、即興性、電子音楽)を融合させ、DEVOのような海外の先鋭的なバンドからの影響を抵抗なく吸収する文化的背景を形成したと言えるだろう。  

ヒカシューの音楽性とテクノポップの潮流

ヒカシューは1979年にシングル「20世紀の終わりに」でデビューし、その初期から独自の音楽的特徴を確立していた。彼らはデビュー当初から「テクノポップとニューウェーヴが未分化のままブームとなっていた中で、演劇的な独特のスタイルで異彩を放っていた」と評されている 。巻上公一は、ヒカシューの音楽制作において、歌も含めて全て即興で行われた作品(例:「転々」)もあれば、大まかなフレーズは書いてありつつも自由に演奏する部分を組み合わせる手法(例:「紅茶の染みの全音符」)も用いるなど、非常に柔軟なアプローチを取っていた 。彼はまた、ハンドサインを使いながらその場で指揮をし、事前に作ってきた音と同時に鳴らすという、リアルタイムでの楽曲構築も行っている  

初期のレコーディングについても、巻上公一は「あまり効率的じゃないと思ったし、変なところに気を遣ってしまって演奏する力が削がれちゃう気がした」と語っており、丹念な録り直しよりも、演奏の「力」や「生きた感覚」を重視する姿勢が伺える 。この発言は、彼らが単に音を完璧に作り込むだけでなく、表現の本質を追求していたことを示唆している。当時の一般的なレコーディング手法(多重録音、完璧なテイクの追求)への批判的視点とも解釈でき、より本質的な表現を追求する姿勢に通じる。また、即興性とリアルタイムでの楽曲構築は、DEVOの反復的・機械的なサウンドプロダクションとは異なるアプローチであるが、どちらも既成概念を打ち破り、新しい音楽表現を模索する共通の実験精神の表れであると言える。巻上公一のこの言葉は、ヒカシューが単なる流行のテクノポップバンドではなかったことを示唆している。彼らは、音楽制作のプロセスそのものにも革新を求めていたのである。この「効率性」と「即興性」へのこだわりは、DEVOが既存のロックンロールの形式を破壊し、新しいサウンドスケープを構築したのと同様に、既成の音楽に対するオルタナティブな姿勢を共有するものであり、両バンドが表面的なサウンドの類似性だけでなく、より深いレベルで音楽的哲学を共有していた可能性を示唆している。  

1980年代に入ると、YMOに代表されるテクノポップが一大ブームとなり、シンセサイザーなどの電子楽器が音楽制作に広く導入された。これは、海外のクラフトワークやDEVOといったバンドが切り開いた電子音楽の潮流と密接に連動しており、日本のアーティストもその影響を強く受けていた。ヒカシューもこの潮流の中で、独自の演劇性と即興性を融合させ、異彩を放つ存在として地位を確立していったのである。

巻上公一によるDEVOへの具体的な言及と音楽的引用

ヒカシューの音楽とDEVOとの関連性を示す最も直接的かつ具体的な証拠は、ヒカシューの2ndアルバム『夏』(1980年)に収録されている楽曲「アルタネイティブ・サン」の間奏部分に、DEVOの代表曲「モンゴロイド」のコード進行が引用されているという事実である 。この事実は、巻上公一、ひいてはヒカシューがDEVOの音楽を深く認識し、その要素を自身の作品に取り入れるほどの影響を受けていたことを示す決定的な証拠である。「アルタネイティブ・サン」は加藤和彦との共同プロデュースであり 、この曲は後に巻上公一のソロアルバム『民族の祭典』でセルフカバーもされている 。このセルフカバーは、引用されたコード進行が巻上にとって単なる一時的な引用ではなく、自身の音楽的語彙の一部として定着していたことを示唆している。  

外部の音楽評論においても、ヒカシューとDEVOのスタイルを比較する言及が存在する。MOMO BLOGの記事では、「ヒカシューのスタイルはアメリカのバンドDEVO(ディーヴォ)」と直接的に比較されている記述が見られる 。これは、批評家の視点から見ても、両バンドの音楽性やアプローチに共通点や類似性が認識されていたことを裏付けるものである。このような批評的言及は、単なる音楽的引用を超えた、より広範なスタイルの親和性があったことを示唆している。  

しかしながら、巻上公一の公式ウェブサイトのバイオグラフィー や、彼のWikipediaページ には、DEVOへの直接的な言及は見当たらない。また、複数のインタビュー記事 を調査しても、巻上公一自身がDEVOについて具体的に語る箇所は確認できなかった。この「言及の不在」は、興味深い示唆を与える。それは、影響が意識的ではあっても、それを公に語る必要性を感じていなかったか、あるいは音楽的な吸収が非常に自然な形で行われたため、特定のバンドからの影響として強調する意図がなかった可能性を示唆している。ヒカシューの「アルタネイティブ・サン」におけるDEVO「モンゴロイド」のコード進行の明確な引用は、巻上公一がDEVOの音楽を深く理解し、その要素を意図的に自身の作品に取り入れたことを示す決定的な証拠である。しかし、巻上公一自身のインタビューや公式バイオグラフィーでDEVOへの直接的な言及が見られないという事実は、興味深い対比を生み出している。この「言及の不在」は、影響を公言することよりも、それを自身の音楽に昇華させることを重視するアーティストの姿勢、あるいは当時の音楽シーンにおける「引用」の文化的な位置づけを反映している可能性がある。音楽における「引用」は、単なる模倣ではなく、敬意の表明であると同時に、その引用元を「超える」試みでもある。巻上公一がDEVOのコード進行を引用しつつも、自身の言葉でその影響を語らないのは、DEVOの音楽を単なる模倣の対象としてではなく、自身の創作の出発点、あるいは共通の思想を持つ仲間として捉えていたからかもしれない。これは、アーティストが他者の影響をどのように内面化し、自身のオリジナリティとして昇華させるかという、より深い創作プロセスを示唆しており、ヒカシューの音楽が単なる海外のトレンドの追随ではなかったことを裏付けている。  

ヒカシューの主要アルバム『夏』とDEVO関連楽曲の詳細は以下の表にまとめられる。

表1: ヒカシュー主要アルバム『夏』とDEVO関連楽曲リスト

アルバム名 リリース年 関連楽曲 DEVO関連情報 出典
夏 (Natsu) 1980年 アルタネイティブ・サン (Alternative Sun) 間奏部分でDEVO「モンゴロイド」のコード進行を引用。加藤和彦との共同プロデュース。後に巻上公一ソロアルバム『民族の祭典』でセルフカバー。
 

この表は、本報告書の主要な論拠である音楽的引用を明確に提示し、複数の資料に散らばる重要な情報を一箇所に集約することで、読者が一目で関連性を把握できるようになっている。引用された楽曲のアルバム名、リリース年、共同プロデューサー、セルフカバーの事実などを併記することで、単なる引用事実以上の文脈を提供し、その引用がヒカシューの音楽史においてどのような位置づけであったかを理解しやすくしている。

巻上公一の音楽哲学とDEVOとの共通項

巻上公一の音楽哲学は、ヒカシューの活動を通じて一貫して示されている。彼は1960年代から70年代にかけてのアヴァンギャルドな活動を深く愛し、その影響を継承しつつも、自分たちなりにそれをどう昇華していくかを常に考えていたと語っている 。巻上は即興演奏を自身の音楽的核とし 、ハンドサインを用いたリアルタイムでの楽曲構築 や、譜面と即興の組み合わせ など、既成概念にとらわれない制作手法を実践している。また、口琴、テルミン、ホーメイといった特殊な発声法や楽器を駆使し、「声帯実験」のようなソロパフォーマンスも行い、声の表現の可能性を飽くなき探求している 。これらの活動は、音楽のジャンルや形式にとらわれず、表現の可能性を広げようとする巻上公一の強い探求心を示している。  

DEVOは「De-evolution(脱進化)」という独自の思想を掲げ、社会や人類の退化をテーマに、機械的で反復的なサウンド、無機質なパフォーマンス、そして特徴的なビジュアル(エナジードームなど)を融合させた総合芸術を追求した。彼らの音楽は、既存のロックンロールの形式を破壊し、新しいサウンドスケープを構築する徹底した実験性に満ちており、そのパフォーマンスはしばしば演劇的で挑発的であった。

両者の音楽が持つ反骨精神や既成概念への挑戦といった哲学的な側面には共通点が見られる。巻上公一は、ヒカシューの活動について「最初からみんなが歓ぶものをやろうとは考えていませんでした」と語り、彼らの音楽が「ある程度の教養がないとそれをキャッチできない」と評されるようなものであっても、「理解できない」と言われても堂々とやる姿勢を貫いてきた 。この「アンダーグラウンドとポピュラリティを結びつける活動」は 、既成の音楽業界や大衆の期待に安易に迎合しない強い反骨精神を示している。この「理解できない」と言われても貫く姿勢は、DEVOが主流文化に対する批判的な視点を音楽やパフォーマンスで表現したのと共通する、アヴァンギャルドな精神性であると言えるだろう。巻上公一が「最初からみんなが歓ぶものをやろうとは考えていませんでした」と述べ、その音楽が「ある程度の教養がないとそれをキャッチできない」と評されることは 、彼が既存のポピュラリティや商業主義に囚われず、独自の芸術的探求を追求してきた証拠である。この姿勢は、DEVOが提示した「脱進化」という概念や、彼らの音楽が持つ反復的・機械的なサウンド、そして既存のロックンロールの形式を破壊する実験性と強く共鳴する。両者ともに、単に新しい音を追求するだけでなく、社会や文化に対する批判的な視点を音楽表現に昇華させるという点で共通の哲学を持っていると言える。この共通の「反骨精神」と「実験性」は、単なる音楽ジャンルの類似を超えた、より深い思想的なつながりを示唆している。DEVOの音楽が持つ皮肉や社会批判は、彼らの実験的なサウンドと不可分であった。同様に、ヒカシューの即興性や演劇性、多楽器演奏の探求は、巻上公一の既成概念に囚われない芸術的自由への渇望と結びついている。この深層での共通性が、DEVOのコード進行引用という具体的な音楽的影響の背景にあったと考えられ、単なる流行の模倣ではない、より本質的な共鳴があったことを示唆している。  

巻上公一(ヒカシュー)とDEVOの音楽的・哲学的共通点は以下の表にまとめられる。

表2: 巻上公一(ヒカシュー)とDEVOの音楽的・哲学的共通点

項目 ヒカシュー(巻上公一)の特性 DEVOの特性 共通点
音楽スタイル

テクノポップ/ニューウェーブ、演劇性、即興性、多楽器演奏(口琴、テルミンなど)、声の表現探求  

テクノポップ/ニューウェーブ、機械的・反復的サウンド テクノポップ/ニューウェーブの枠組み、実験的なサウンド
表現方法

アヴァンギャルド志向、アンダーグラウンドとポピュラリティの結合、効率性を重視した制作  

視覚表現(エナジードームなど)、無機質なパフォーマンス 既成概念への挑戦、独自の表現様式
哲学/思想

既成概念への挑戦、大衆に迎合しない姿勢  

「脱進化」思想、社会批判 反骨精神、独自の哲学に基づいた表現

この表は、両者の音楽的・哲学的側面を比較対照することで、その共通点と相違点を明確にし、分析的な視点を提供している。これにより、読者は両バンドの特性を体系的に理解できる。また、「反骨精神」や「実験性」といった抽象的な共通点を、具体的な音楽スタイルや思想の項目に落とし込み、視覚的に理解しやすくしている。これにより、両者の深いつながりがより直感的に把握でき、報告書全体の分析的側面が強化される。共通点を体系的に示すことで、DEVOのコード進行引用が単なる偶然や流行の模倣ではなく、より深いレベルでの共鳴の結果であったという本報告書全体の主張に説得力を持たせている。

国際的な音楽交流と影響の背景

巻上公一は、ヒカシューの活動初期から国際的な視野を持っていたことが伺える。1980年の2ndアルバム『夏』の制作にあたり、ドイツの著名なプロデューサーでありクラフトワークなどを手がけたコニー・プランクにプロデュースを依頼しようとしていたというエピソードは、当時の日本のバンドが海外の最先端のプロデューサーやサウンドに強い関心を持っていたことを示している 。この試みは東芝EMIの理解が得られず実現しなかったものの、巻上公一の先見性を物語っている。  

その後も巻上公一は、ベルリンでのデヴィッド・モスとの共演 、ジョン・ゾーンのプロデュースによるニューヨークでのソロアルバムレコーディング 、トゥヴァ共和国でのホーメイとの交流 、モスクワでのフェスティバル参加 、世界各地の音楽祭への出演 など、精力的に国際的な活動を展開している。彼は「交流こそが凄く大事」と語り、海外との文化的な交流活動の重要性を強調している 。このような国際的な活動と交流は、彼がDEVOのような海外の先鋭的な音楽から影響を受け、それを自身の音楽に統合する豊かな土壌となったと考えられる。巻上公一が初期からコニー・プランクのような海外の先進的なプロデューサーとの協業を望み 、その後も世界中で多様なアーティストと交流を深めてきたという事実は 、彼が常に国際的な音楽の動向にアンテナを張り、新しいサウンドや表現形式に対してオープンであったことを示している。この国際交流志向が、DEVOのような海外の先鋭的なバンドからの影響を自然に受け入れ、自身の音楽に統合する土壌となったと考えられる。これは、単に「影響を受けた」という事実以上の、アーティストの意識的な選択と、その選択が音楽的発展に与える環境形成の重要性を示唆するものである。巻上公一の国際的な活動は、単に彼のキャリアの幅を広げただけでなく、彼の音楽的視野を常に拡大し、多様なインスピレーションの源泉を提供した。DEVOからの引用は、この広い視野と、当時の世界的な音楽潮流への深い理解の証であると言える。日本のニューウェーブが単なる海外の模倣に終わらなかったのは、ヒカシューのように、海外からの影響を咀嚼し、独自の文脈で再構築するアーティストがいたからであり、巻上公一の国際交流への積極的な姿勢がその一因であったと考えられる。  

1980年代の日本のニューウェーブ・テクノポップシーンは、海外のパンク、ニューウェーブ、エレクトロニックミュージックからの影響を色濃く受けていた。しかし、日本のアーティストは単なる模倣に終わらず、それらの要素を日本独自の文化や感性と融合させ、新しい音楽を創造する傾向があった。ヒカシューもその代表的なバンドの一つであり、DEVOからの影響を「アルタネイティブ・サン」で引用しつつも、独自の演劇性や即興性、そして「はっきりとクリアな発声の日本語詞」と融合させることで、日本独自の音楽性を確立していった  

結論:ヒカシューとDEVOが示す音楽的共鳴

本報告書の調査により、巻上公一率いるヒカシューと海外のテクノポップバンドDEVOの間には、明確な音楽的引用という直接的な関連性が存在することが確認された。ヒカシューの「アルタネイティブ・サン」におけるDEVO「モンゴロイド」のコード進行引用は 、ヒカシューがDEVOの音楽を深く認識し、その要素を自身の作品に取り入れるほどの影響を受けていたことを示す決定的な証拠である。また、外部の音楽評論家によって両者のスタイルが比較されるなど 、批評的にもその類似性が認識されていた。  

一方で、巻上公一自身がDEVOについて直接言及した資料は見当たらなかったものの、これは、影響を公言するよりも、それを自身の音楽に昇華させるアーティストの姿勢、あるいは当時の音楽シーンにおける「引用」の文化的な位置づけを反映している可能性が考えられる。DEVOからのコード進行引用は明確な影響を示すものの、巻上公一がそれを自らの言葉で語らないという事実は、影響が単なる模倣ではなく、彼の音楽哲学や表現の中に深く「内面化」された結果であると解釈できる。これは、日本のニューウェーブが海外の音楽を単に輸入するだけでなく、それを独自の文脈や感性で再構築し、最終的に「ほかの国では生まれない」ようなオリジナリティを確立したプロセスを象徴している 。ヒカシューの音楽が持つ「はっきりとクリアな発声の日本語詞」と、巻上公一が言及した「舌ったらずの外国人みたいな感じにわざと歌うドメスティックな日本人バンド」との対比は 、この「内面化」の成功と、日本のニューウェーブが辿った多様な道を浮き彫りにするものである。影響の「内面化」は、アーティストが自身のアイデンティティを確立する上で重要なプロセスである。巻上公一がDEVOの要素を取り込みつつも、彼自身の即興性や演劇性、ホーメイなどの独自のアプローチを追求し続けたことは、彼がDEVOを単なる一時的なトレンドとしてではなく、自身の芸術的探求の共鳴点として捉えていたことを示唆する。  

ヒカシューは、その演劇性、即興性、多楽器演奏、そして既成概念にとらわれない制作アプローチを通じて、日本のニューウェーブ・テクノポップシーンにおいて独自の地位を確立した。その形成過程において、DEVOのような海外の先鋭的なバンドからの影響は、単なる流行の追随ではなく、巻上公一のアヴァンギャルド志向や反骨精神と共鳴し、ヒカシュー独自の音楽性を深める重要な要素となった。巻上公一の国際的な交流への積極的な姿勢も、このような影響の受容と再構築を可能にした背景にある。ヒカシューとDEVOの関係性は、1980年代の日本の音楽が、いかに海外の潮流を吸収し、それを独自の解釈と創造性で再構築していったかを示す好例と言えるだろう。彼らの音楽的共鳴は、単なるジャンルの一致を超え、芸術的探求における共通の精神性によって結びついていたことを示唆している。

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